テーマを決めて毎週それにそって考え、解釈し、書くワークショップ、テーマ執筆会。回数をこなすにつれて、それぞれ解釈の方法や考える時間に違いがあることが分かってきました。そこで毎週やっていたのを一か月かけてやってみることに。
第一週は巨大化って何だろうかと話しをしたのに加えて、絵を見てそこからアイデアや発想を得るということをしました。
そして、第二週目は単語が書かれたカードを引き、それを巨大化したらどうなるかをその場で書くワークショップを行いました。その模様、作品をご覧ください。
ただのさん
「紙飛行機」
窓から見えた飛行機が、一瞬ぺらぺらに見えた。客が入っているはずの部分は押しつぶされていて、ただの一人だって乗せているようには見えない。翼の部分だって、鳥がぶつかればスパッと切れてしまいそうに薄い。機体の下の方には、ご丁寧に持ち手までついている。一体誰が飛ばしたのだろう。そしてどこまで飛んでいくことができるのだろうか。私は早く元の飛行機に戻ってくれと念じながら、窓から視線をそらした。
出た意見、感想
・紙飛行機に見えただけで、実際は普通の飛行機だったのならば、巨大化というテーマとは違うのではないか。
・主人公の大きな勘違いと言う意味では巨大であるし、実際に本当に巨大でなくてもそう見えたというのも含めて良いと思う。
・どこから巨大と決めるのかが、人それぞれ違うので作者が巨大と言えば読者は認めるというルールで統一したほうがいいのではないか。
畠山さん
「オルゴール」
大きく背伸びしてコインを入れると、ギギギとうめくような音がして、円盤が回りはじめた。まわりの人間たちは、こいつは馬鹿かとでも言いたげな顔をしている。クスクスゲラゲラ笑っているやつもいる。どうしてだろう。音楽に金をかけるのはおかしなことだろうか。今だってほら、とても素敵なバッハが流れているというのに。
もっと遠くからも聴いてみたい。私はオルゴールから一歩ずつ離れていく。少し歩いたところで、酔っぱらった男にぶつかった。そいつの持っていたビールが私にかかり、嫌なにおいが鼻をつく。男は適当に詫びるとふらふらとどこかへ歩いて行ってしまった。ちくしょうめ。
オルゴールで一曲流すだけの金があれば、ここではビールを三杯飲める。大きな器械を動かすには、それだけかかるのだ。多くの人はビールを選ぶ。私のような庶民はコンサートにはとても行けないから、この美しくも憎たらしいオルゴールで、とてつもないお金のかかるオルゴールで、曲を聴くことを選ぶのだ。
出た意見、感想
・巨大なオルゴールというより、それを享受している人間側にスポットが当たっている。その方法は『ガンダム』や『ゴジラ』などでも使われている技法なので、もちろん正解だけど、その人間模様がまた巨大なオルゴールを際立たせてないといけないと思う。
・巨大なオルゴールのサイズ感がわからない。また、これであればフェスや街宣活動車、デモや路上ライブなど、他のものに代用可能であるので、巨大なオルゴールにした意味をもっと見出せれば面白い。
・巨大なオルゴールの前で、酒を飲む人たちというのを頭で想像してみるととても面白かったです。ただ、ここがどこであるのかという点が一つ気になりました。
河内屋さん
「オルゴール」
レクイエムが流れている。モーツァルトのレクイエム。声楽の入っていないアレンジで、街中に一定の音量で響き渡っている。大きくもなく、小さくもなく。どういった原理か知らないが、音源であるオルゴール塔に近づいても、ささやきかけるような具合の音だった。劇しさは残したままで。金属の分厚い扉を開くと、巨大な機械仕掛けがあった。扉が音を立てて閉まる。四方を石造りの壁に囲まれた広大な空洞の上空は青空だった。金色に輝く巨大な歯車に彩られた機械もまた陽の光を浴びて黄金に輝いていた。それらの金属は風雨に曝されても錆びつかないという。レクイエムが止む。少しの静寂があって、またレクイエムがはじまった。
出た意見、感想
・レクイエムという言葉の多様が面白かった。リフレインという技術が使われている。
・なんとなくロンドンの街のイメージが広がった。言葉が硬いという雰囲気があったからだと思う。
・巨大なオルゴールよりも、それから流される音楽が鳴り響いている街のほうが巨大なので、巨大なオルゴールのイメージより際立ってしまうのではないか。
・なぜレクイエムに、この曲にしたのかが気になった。雰囲気づくりのためかなと思った。
釣り師オイカワさん
「花束」
僕は、飛頭蛮のあの娘に恋をした。
このご時世、国際交流以上にホッとだったのが、異種間交流であった。誰もが身長差2メートルはあるサイクロプスのマドンナに恋をし、メドューサの頭髪(つまり蛇)の鱗の艶やかさに愛を滑らせ、一旦木綿に絞殺じみた求愛を受ける。
まったくけしからん、と憤慨しきりであった。なにしろこれは昨今の異種間との折衝的な政府の思惑が見え隠れする桃色大作戦だったからである。
200 x x年。世界中の魑魅魍魎が現実のものとなったのは記憶に新しい人も多かろう。私は当時学生であったが、転入生として妖怪がやってくるのは度肝を抜く自体であった。一旦木綿を紹介されたのには担任の正気を疑ったものだ。およそ人間と同じ枠組みではなかろうに、教室を共にするなど冗談ではない。
しかしながら政府も必死であった。兆候はあったものの国内に人ならざるものが溢れかえったのだ。外観誘致どころではない。どうにか意思疎通はできるものの、倫理観、道徳観の獲得は急務である。こうして獅子心中の虫をどうにかすべく、政府は教育機関にぶち込むことにした。
かくして、本人の自己申告を元に一律学ランとセーラー服を支給された魑魅魍魎が学内へと溢れ返ることになったのである。彼らは人ならざる魅力を持ってして、学内の人々を次々と籠絡せしめた。なにより外見が人に近いものが大半だったので、種族の差異を殊更に強調しなければ、ただ魅力的なだけだったとも言える。
そして、我々は卒業の時を迎えた。
ああ素晴らしき我が母校。校歌の斉唱が体育館に響き渡り、人馬一体ならぬ人魔一体の調べを奏でる。ああ一旦木綿よ、お前はどこから声を出すのか。
そんな疑問をよそに、卒業式は粛々と進行する。終わりに向けてだんだんとしめやかになっていく雰囲気と裏腹に、私は高鳴る鼓動を抑えられないでいた。このあと、私は告白するのだ。
誰に?飛頭蛮に。
なんの?無論、愛の告白を。
飛頭蛮は、いやここは親しみをもって飛頭蛮ちゃんと呼ばせてもらおう。
彼女は、東南アジア圏、タイなどが出身の妖怪である。そのエキゾチックな見た目も麗しく、そしてそのご尊顔は誰よりも高く空を飛ぶ。そう、彼女はろくろ首のように伸縮自在の頸部を介さず、直接頭が空を飛ぶ。
私は生来妖怪が嫌いである。幼き頃より感が良く、何かがいると感じて訴えても誰も取り合ってくれなかった。布団の重みとはまた違う感触を感じながら床に着く日々。小六までおねしょが治らなかったのは必然と言えよう。それらが我ら人間様と同じような顔をして街を練り歩くのだ。
私の憤怒は海よりも深く、山よりも高かった。
だが、それはたまたま休日にUber eatを頼んだ時に破壊された。玄関で応対した私を出迎えたのは、そのエキゾチックな頭部だけだったのである。
彼女はタイからの留学生であった。
親に養われている身としては、一回500円あたりのpayで糊口をしのぐ彼女のあり方に、圧倒されたのもあった。それから私は暇さえあれば空を見るようになったのである。
―――星の瞬く夜空を背景に、彼女の頭部が、各種企業のロゴとともに輝いている。
それは蛍光塗料であり、彼女の労働の汗であった。
気づけば教室でも、家でも、彼女の頭部の浮遊の如何に関わらず私は彼女の顔を思い浮かべていた。気づけば、私は恋をしていた。
蛇の道は蛇とも言う。私は一旦木綿に相談することにした。彼によると昨今のブームは花束であった。彼曰く、植物の生気はちょうど良い塩梅らしい。そしてそれは、自身の身長と同じくらいであれば良い。
なるほど困った。同級生の中谷くんが2メートルを越す大輪のひまわりを持ってきた理由には合点がいったが、私にはそこまでの根性はなく。根性以前に、どこまでも高く飛んでいける彼女には、いったいどの花がよいのだろうか?
「これを受け取ってほしい」
私は手に持った石ころを彼女の掌に滑り込ませた。茶褐色に研磨された石が、日の光を浴びて輝く。
「これは、なに?」
対する彼女は、いささか疲れたようであった。片手には卒業証書。地面には草臥れた花。無理もない。彼女は私で三度目の告白であった。これが私の学内ヒエラルキーの順列と言っても過言ではない。私は好意を伝えた勢いのまま、彼女の掌に滑り込ませた石の正体を言った。
「メタセコイア」
「はあ?」
「メタセコイアの化石です」
そう。メタセコイアの化石であった。メタセコイアは30メートル以上になる巨木である。茶褐色に輝く石は、太古の空気の中どこまでも肥大し空を目指した大木の切れ端が石へと転じたものであった。それは生きた化石とも呼ばれあぁ!
彼女は掌の化石を口の中に放り込み、都合三度咀嚼した。ごりごりと名状しがたい音がして、化石は木っ端微塵となった。突然の凶行である。
「頭のおかしいそこのあんた」
「ひぃ!」
我ながら情けない声が出る。そう、飛頭蛮は人肉食と伝えられている妖怪である。人骨を噛み砕く強靭な顎関節の前には、積み重ねた時の流れも形なしであった。私のカッコつけも限界であった。彼女の鋭い犬歯が目に映る。
けれど、この期に及んで私はこの告白を諦めきれないでいた。いろいろと間違っている告白だが、それほど私は彼女にくびったけなのである。
彼女に首はないけれど。
「ちょっと」
「はい!」
今度はかなり威勢のいい返事が出た。一瞬、近所のラーメン屋を思い出す。私が死んだら、人骨スープを作ってくれやしないだろうか。ほうけていると、彼女の掌の感触が触れて正気に戻る。
そのまま、ずんずん引っ張られる。
校門を出て、あぜ道を行き、河川敷を歩いて、たどり着いたのは馴染みのラーメン屋であった。
背脂臭い暖簾をくぐる前に、彼女にこれだけは聞いておかねば、と決意する。
私は力負けして着座しながら、彼女に向かって尋ねた。
「これは、デートでよろしいか」
「え、いいわよ!」
どうでもいいわよ!とも聞こえた気がしたが、私は満足であった。ふはは、リア充である。
彼女といえば、メニューも見ずに、大将に直接注文する。
「豚骨スープ。骨だけ!」
私は納得した。ははぁ、これは。
かみごたえのある女である。
出た意見、感想
・花束より、飛頭蛮のイメージが強く、巨大化というテーマには合っていないのではないだろうか。ただ、花束から妖怪のイメージを結び付けたその想像力がすごいと思った。
・会話のテンポと、文体が面白く、合わせて登場するのが妖怪なのだけれど怖くなくてユーモアに富んでいた。
・途中で登場するUber eatsが面白かったけれど、これにより現代性が出てしまい、今の世界に妖怪が普通に暮らしているという状況になってしまっている。妖怪が生きていることによっての世界情勢の変化などが書かれていないので、もっと妖怪が登場する世界ならではのリアリティが欲しかった。
Mitsuki
「花束」
私のダーリンはやさしい。なんてったって記念日には、毎年花をくれる。
それに比べて私はダメな女。記念日なんて一つか二つくらいしか覚えてないもん。それも誕生日とクリスマスってだけだからわかりやすいだけだし。ちなみに軽く言っておくと、誕生日がクリスマスのちょうど一か月前で、今年も彼氏ができませんでしたよといきつけのバーで、当時仲の良かった幼馴染である彼に愚痴っていたら、じゃあ俺とって流れになったかどうかは覚えてないけど、きづいたら翌朝チュンだったから、あぁしてしまったんだなと。優しかった彼は、責任をとるとか言って、付き合ってくれた。なので実際には、クリスマスアフター一日なんだけれど、まぁそのへんの差異は何十年もたてば些細なものでしょう。ちなみにクリスマスは結婚記念日ね。何十年経ってもダーリンがくれる私への愛は変わらない。それどころか、毎年大きくなっていて、たいへん。始めのほうは一輪の花だったものが、花束になって、そのうち花自体も大きくなったの。あっ言ってなかったけど、私のダーリンは生物学者で、深刻化する食糧問題に、大きくなっても味が変わらない野菜を作ってて、多分その研究の遊びの一環で巨大な花を作ってるんだと思う。毎年毎年巨大な花をもらって、どんどんその世話に忙しくなって、部屋も狭くなって、新しい家も買って、メイドも雇うようになって、あっそうそう、このメイドがまた変なこでさぁって、まぁその話はまた今度で。で、今私がどこで何をしてるかって、いうとね箱の中にいるの。えぇそう、長方形? 立方体の箱。
あらあら、ダーリンったら優しすぎるわよ、もう。今日は何でもない日だってのに、こんなにたくさん花を。あら、今日は珍しく小さめね。ってこれダーリンだけがくれた花じゃないの? 入り口にもでかい花がたくさんあって、いろんなお店の名前が書かれたカードもある。みんなやさしい人ね。あいしてるわ。えっこれは造花? ってなんで私箱から出てるの? そしたらダーリンが見えて、ダーリンはすっかり老けたけど、顔からにじみ出る優しさは相変わらず。愛してるわ、ダーリン。
出た意見、感想
・語り手の独白形式というのがまず面白かった。次にちょっと天然な女性というキャラクターづけもうまく書けていると感じた
・巨大な花束のイメージが途中で少し出てくるだけで物語に深く干渉していないのがもったいなく感じた。
・最後が死んでいるのかどうかわかりにくかったので、もう一つ死へと向かっているものが欲しい。無理やりラストをつけようとしている感が否めない。
※こちらは藤野可織さんの『いやしい鳥』という作品を参考にしています。
良ければぜひそちらもご覧ください。
【ゲスト】リウーさん
Twitter@JNvMpcRxasPsEpY
「巨大な塗り絵」
巨大な塗り絵を完成させようというプログラムが始まった。
企画したのはこの街の市長で、過疎化が進む街に、少しでも人を呼ぶという目的で行った。街で一番大きな体育館1面を使い、そこに巨大な塗り絵をセットする。
絵は、街のシンボルであるクジャクだ。幼稚園児や小学生、中学生、高校生、老人ホームの入所者などに色を塗ってもらう。体は青色で統一するが、羽は塗る人の思い思いの色で塗る。完成すると、実際のクジャク以上にカラフルに美しいクジャクができるという狙いであった。
ある幼児は羽を赤い色で塗り、ある少年は羽を白い色で塗った。ある少女は黄色い色で塗り、老人ホームのおじいちゃん、おばあちゃんは、原色より地味な紺色や深緑色で羽を塗った。絵の得意な生徒は色を立体的にするために、他の人が塗った上から何度も重ねて色を塗った。細やかな羽を表現するために、銀色や金色も使った。
プログラム終了の期日が近づき、市長は一人、塗り絵の置いてある体育館に行ってみた。
そこには、青い体と真っ黒な羽を持つ不気味なクジャクが存在した。
それは、この街の終わりを想像させる虚無の色だった。
出た意見、感想
・めちゃくちゃ面白かった。舞台設定、何をするか、している様子、結果すべてがきれいに書かれていた。狙いであった、の部分でうまくいかないのであるのを予感させ、何度も色を重ねたことによって真っ黒になったという理由もしっかり描かれている。
・最後の一つ前の行で話にオチがついているので、最後の一言が蛇足に感じた。
・巨大のサイズ感が、空間をしっかり描くことによってイメージがしやすかった。
最後に
いかがだったでしょうか? 実は巨大を文章で表現するのってすごく難しいんですよね。メンバーのなかに巨大でイメージするもので聞いても、『ガンダム』『エヴァンゲリヲン』『ゴジラ』『ウルトラマン』『進撃の巨人』など、絵やCGなどでの演出が多いです。それはやはり巨大のインパクトを表現するのに絵のほうが伝わりやすいからなのでしょう。
しかし、文章も負けてはいません。小さいものが急に大きくなる想像は日常生活ではあまりすることがないからです。いつもはしない想像をすることに人は面白いと感じるものです。もしかしたら新しい巨大コンテンツは文章の中にあるのかもしれませんね。
Vol.4か5では、実際にそれぞれ短編小説を書きます。その模様もこちらに掲載する予定ですので、よければぜひご一読ください。
文芸みぃはぁでは文章や物語の面白さを伝えるワークショップやイベントを多数開催しています。ボードゲームを使って楽しく、かつレベルアップもできちゃうので、ぜひご参加ください!
筆:Mitsuki
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