1.はじめに
趣味は読書です。
わたし自身、就職活動で何度もこの言葉を口にしました。
そのたびに微妙な顔をした人たちとセットでよく覚えています。
読書は、しない人からすれば、なんともみすぼらしく、孤独な作業だろうと思っていることでしょう。
物語を読むならアニメとかドラマとか映画とかあるだろうに、なぜわざわざ時間のかかる本を選ぶのか、コスパという言葉を知らないのか、という人も中にはいました。山奥で壺を作りながら自給自足をしているような人の、ふとした楽しみとでも思っているのかこいつは! と内心腹を立てながらも、「そうですよねぇ~」とごまかしたことは少なくありません。
そこまではないにしても、読書と聞くとなんとなく渋みのある色をイメージする人は多いのではないでしょうか。
そうでない本を愛する同志たちの中にも『読書会』という言葉を聞きなれない人、名前は知っているけれど参加に抵抗を感じている人も多いのではないでしょうか。
かくいう私もはじめはそうでした。
はじめての読書会は大学の授業。読書会をしますといわれ、その場で読むものだと思っていた私は未読で参加し、大恥をかきました。あまりにもはずかしすぎて読者会に改名した方がいいと声をあげたぐらいです。
そんな経験から始まったにも関わらず、今では数多くの読書会を企画しているのですから、なんとも不思議な話ですね。
今回は、大学四年間とチームを結成して二年間、毎週、読書会をはじめとした文学イベントを開催している私が、読書会について紹介していく記事になります。
2.読書会ってなに?
読書会とは何か、
まずはその疑問にお答えします。
一言で言えば、『感想共有会』
いろいろ形はありますが、ほとんどのものに共通していることは、
同じ本を読んだ人たちが集まって話す、というものです。
私個人、本といえば一人で読むものという考えが日本には根強くあるような気がしています。
たしかに読むときは一人であるのが大体ですが、それを誰かに共有してはいけないという決まりはありません。
にもかかわらず、なかなか『読書=ひとり』というイメージが強い理由はいくつかありますが、まず本を読む人(公言している人)が少ないことです。
同じ本、しかも同時期となればよほどのベストセラーや賞をとったものでなければ読んでいる人は皆無に等しく、読書会を開こうとしてもなかなか参加者は集まらないのが現状。
……というのは少し前の話です。
コロナになって空いた時間に本を読む人が増え、その流れで、オンライン読書会というものも同時に活発化してきました。
身近に同じ本を読んだ人がいなくても、日本中探せば何人もいる。そんな一見当たり前のことに、読書好きが気づき始めたのです。
SNSを探せば、どこに隠れていたのだと言わんばかりにたくさんの数の読書アカウントが存在しています。年齢層も幅広く、読んでいる本もバラバラ、けれどそれらを否定することなく、面白そうと思ったら質問したり、同じ本の感想を投げあったり、和気あいあいとした空間があったのです。中には互いに本を紹介しあって、読みあっている人までいます。読書という超アナログなものとSNSというデジタルなものが融合し、化学反応を起こしているかのように私には感じられました。
いや、実際そうなのでしょう。
3.読書会はスマブラみたいなもの
オンラインの進歩により読書会をはじめとする本関係のイベントにどこにいても参加できるようになったとはいえ、参加したいかと言われるとそうでない人もいることでしょう。
本が好きな人の中にはそういった集まることに苦手意識を感じる人が一定数いるのは事実です。参加してみたい気持ちがあっても、議論を交わすのは苦手だし、口論になるのではないかと心配や恐怖を抱いているのではないでしょうか。
そんな方々の不安をあおりたいわけではないが、言わせてください。
読書会はスマブラである。
……どうかここで読むのをやめないでください。
一人で練習しみんなで友達の家に集まって戦う。
ひとまず読書会はそんな風にイメージしておいてください。
参加するには感動的で壮大で上手い意見や、誰もが気づいていない発見をしなくてはならないのではないかと感じた方、
安心してください。
友達の家でゲームをして遊んでいるときにただ見る専だったやつはいなかったでしょうか。もしくはあなた自身がそうだったかもしれません。
読書会はいわゆるそういうポジションの人がいてもいいのです。
ただ聞くだけ、少ししか話さなくたってかまいません。
高尚な意見など言わなくていいんです。
私の主催している読書会には、むしろそういったことを言える人のほうが圧倒的少数です。ちょっとした感想を参加メンバーが全員で膨らませてくれ、高尚な意見に押し上げる。そういった空気になることがほとんどなんです。
本当のスマブラなら、参加しない人=つまらない奴だったかもしれませんが、ただそこにいるだけで大丈夫です。
とはいえ、こう思った方もいるのではないでしょうか。
それって楽しいの?
答えはYES
読書会は人の意見を聞いているだけでも十分楽しめるものになっています。
まず、自分と同じように読んでいる人がいれば純粋にうれしいですよね。
それだけではありません。
実は、違うように読んだ人の意見を聞くのも面白いんです。
どうしてそう思うに至ったのかの経緯をなぞっていく感覚は新鮮で、自分にはなかった新しい読み方を手に入れられることは決して少なくありません。
一度読むだけでは分からなかった細かな部分に気がつけたり、自分が読み飛ばしていた部分も補填してくれるので、退屈することはありません。
なので、安心して、参加してください。
それでも、話さなくて人の意見ばかり聞くのは申し訳ないと思われる心優しい方は
感想に対してきちんと反応するを意識してやってみてくだい。
感想に対して、なるほどと言ったり、うんうんとうなずくだけで構いません。
ちょっとしたボケに大笑いしてくれたりすると場の雰囲気がよくなるので、出来る人は率先してやってもらえると主催者としては大助かりだったりします。
4.まとめ
読書会は、自分と違う時間、場所、人と生きてきた人の確かな呼応を感じることのできる貴重な機会です。それが決して自分と遠くはないことを肌で感じられたり、だいぶ長らく触れられずほこりかぶっていた部分が撫でられる感覚になることもあります。
それらは一人で読んでいるだけでは出会えない感覚ではないでしょうか?
自分が読んだのと違うように読んだ人の意見は、物語やキャラクター舞台、小説の中にある色々を立体的にしてくれます。
微妙だった本は自分がしっかり読めていないからだったと分かり、面白くないどころか苦手だった本の面白に気づける。嫌いだったはずの作品に本棚には残してやってもいいかななんて思えてきたりもします。
そしてその経験は次の読書に引き継げられ、読書会をした作品だけではなく、それ以降の本の読み方が増えて、深く読めるようにもなってくるんです。
もちろん、一回の読書会ではそこまでの感覚には出会えないかもしれません。しかし何度も読書会に参加しているうちに、自然に深いと言われるような読みができるようになり、普段の読書も今まで気づけなかった色々なことに気づける。なんども読まなくてはわからなかったことに、たった一回の読書とたった一回の読書会でたどり着けるのです。
最強のコスパではないでしょうか。
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さてここまで読んでくださって、ありがとうございます。
しかし、まだこういった疑問が残っている方もいるのではないでしょうか。
参加したいけれど、どんな意見を言えばいいかわからない。
本当に些細な感想で構いません。
あとは振られた議題や、事前に言われていたテーマで何か思ったことがあれば話せばOKです。
しかし、そうはいってもやはり人なので、参加するからにはいい意見をスマートに言って注目されたいと思うのもうなずけます。
ということで、下記にまとめてみました。長文になるので、ここまでで分かった! という方はぜひいろいろな読書会に足を運んでみて下さい。
ぜひわたしたち文芸みぃはぁにも遊びに来てくれたらうれしいです。
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執筆:Mitsuki
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